スポンサーリンク

運送業界はなぜイメージが悪くなったのか?今はどうなっているの?運送業今昔物語

運送業界、トラック運転手という職種のイメージが落ちて久しい現在。
特に若い人のなり手がありませんので業界全体が高齢化してきており、現役運転手は30代〜50代が圧倒的に多く、陸送部門も含めると60代の方もかなり。

何故こんなことになってしまったのでしょうか?

今日はそれを考え、そして今日の業界は既に良い方へ変わっていることをお伝えしたく記事を書きます。

アイキャッチ画像

©TAKAO


物流氷河期はなぜ来たか、そして現代は?

バブル崩壊による不景気と運送会社の乱立、燃料の高騰やおかしな法律によって訪れた20年前からの運送業界氷河期。
TAKAOはその真っ只中で運転手になりました。
今思い返してみれば、その時始めていたのによく嫌にならなかったなと・・・。

TAKAO初めてトラック乗った時の自画像

TAKAO初トラックの自画像。美化しすぎっす!(^^;)
©TAKAO

初めての会社では、仕事は地場で簡単だったものの、バックに大手百貨店がついているのに社員の社会保険を廃止にし、長年勤めているアルバイトも絶対社員に昇格しない会社でした。今じゃ裁判沙汰ものです(^^;)
昔ながらのワンマン社長で、自分の飲み友達をスキルも無いのにいきなり社員にするような待遇のえこひいきをする会社は今でも残念ながらあります。

「トラック野郎」の時代には稼げる職業の花形であり夢のある業種だった運送業界も、法改正で白ナンバー(自前の持ち込み車両で働くこと)取締りの強化の一方で起業規制の緩和による運送会社の乱立が起こり、追い討ちをかける不景気での激しい競合で運賃がデフレ状態になりました。

「きつい」「きたない」「危険」の3Kの仲間入りをしたばかりか、労働対価に見合わない給料設定となり多くのうら若き運転手が「やってらんねーや」と辞めてしまったのです。
今運転手をやっている人間は当時からの生き残りが多く、業界の高齢化に免許制度の変更(普通免許で4t車に乗れたのが、中型免許が必要になり若い子は面倒な2tの小口配達しか出来なくなり、憧れの大きなクルマの夢が遠ざかった)までが拍車をかけました。
過酷な配車のための居眠りや「やってらんねーや」が嵩じて飲酒運転をするなど大事故を起こす運転手も増え社会問題までになってしまい、いっときトラックと言えば社会の悪者扱い(某元知事の排ガス規制の主張もあり)だった時代がありました。そのイメージがいまも引きずられています。


https://ja.wikipedia.org/wiki/東名高速飲酒運転事故

物流が無ければ国民の生活は成り立たないのに、です。

ただ、当時は運転手を守る法律が緩かったのに対し、今は労働環境の管理が厳格化されているということです。
昔はチャート紙・日報といえば幾らでもごまかしの効く時代でしたが、今はデジタルタコグラフ(デジタコと言います)とGPSで管理しごまかしようが無いのが当たり前になってきています。
監査とその結果の制裁処置も厳しく、労働時間オーバーで営業停止も頻繁に実現するようになりました。
アルコールチェックも今では必須です。

「走った分だけお金になるから」を夢見て運送業界に入った人には残念な話で、昔からの運転手さんなどは「これじゃサラリーマンだよ、つまらん」とぼやいていますが、氷河期のキツさを乗り越えた人、本当にトラックが好きな人はブツブツ言いながらも残ってたりします(笑)

でも、現在、労働環境の改善は実際めざましいものがあります。
コンプライアンス(国からのお達し)の遵守だけでなく、トラックメーカー各社も運転手が疲れにくいような装置をこぞって開発しており、いいクルマは本当に快適で疲れにくいです。
TAKAOはいっときすんごく古い日野のドルフィンに乗ってたこともありますが(それも後期ものの鬼グリルじゃなく、速度灯が砲弾型で角目4灯ヘッドライトになってすぐのやつ・・・今から数えればもう30年以上前の年式)、ブレーキ性能も悪く故障ばかりでムチャクチャ怖い思いをしました。

日野スーパードルフィン中期型

日野スーパードルフィン中期型

あの頃のクルマと比べたら、排ガス規制後のトラックは格段に安全性能や疲労軽減性能が進化しましたし、まぁ排ガス規制のおかげで逆に考えればおっかない古いクルマには新人でも乗らされることがなくなったわけです。


物流氷河期の実際

ここで、ビックリするような当時の話を少ししようと思いますが、これはあくまでも典型的な当時のブラック企業での話です。その会社倒産したのでもう時効ですが、こんな時代も確かにあった、だけど今は違うということを知って欲しいので。
それと、スキルの無いTAKAOを雇ってくれたことには今でも感謝しています。
あれを乗り越えなければ今の自分は無かったでしょうから。

当時TAKAOは取ったばかりの大型免許を手に、何社も何社も求人に応募しました。
だけど当時は女性差別も激しく「女の人雇うとトラブルが起きるからなあ」「バラ積みなんて出来ないでしょ?」とあからさまに言って断る会社も少なくありませんでした。
その上スキルはまだ4tのみ、そんな中で雇ってくれたのが冷凍車で中〜長距離をやるA社でした。

まだ本当の大型つまり当時の10tは怖かったので(当時は増トンの実技試験で大型免許が取れた)、4tに毛が生えたような5t積みの増トン冷凍ウイングで仕事をすることになりました。(増トンとは?→この記事を読もう!「あなたの免許で乗れるのは何トン車?トラックの大きさの種類について知ろう!」)

当時仕事をくれていた大手某運輸はムチャクチャな配車をしてました。
積み込みに時間がかかるバラ仕事ばかりでしたから、当然積み込み待ち時間も長いので積み上がりはいつも夜。
そして一般道で翌日朝までに神奈川から長野や仙台まで着かなければならないのです。何故なら高速代が別途出ないから。込みだと考えるにはあまりに安い運賃だったのです。
行き先が青森や大阪だったら夜っぴて駆けても当然高速を使わないと間に合いませんが、それでも高速代は出ません。
それも件数を持たされると、1日に八戸と盛岡と仙台とをPM5時までに降ろさないとならないとか、なんせ寝てる時間なんかありませんでした。
それなのに後から後から件数や積み荷を追加され、最初の物量を計算してこっちは高さ決めて積んだのに「まだ積めるでしょ」と配車マン。ウイングを開けてフォークで上げてもらい外から積む羽目になったり、ウイングでないクルマの時は横ドアから詰める羽目になってました。
ドラム(冷凍のジュース)の時は、積み込みはジョロダー(クルマの荷台に取り付けパレットを移動させる装置)で楽でしたが1本150kgから300kgあるドラムを時には段積みで20本くらい積んで、そのほかにケースものも積んでましたから、いつも肥満体(積載オーバー)でした。
碓氷バイパスの峠道とか、煙をもうもう吐きながらトレーラーと一緒になって登坂車線です。そう言えば鹿にまくられた(追い越された)という人もいました(^^;)
で、延着(指定の時間に着かない)するとペナルティが給料から引かれます。
「空で戻ってこい(帰り荷が決まってない)、ベタ(一般道)でな」なんて次の指示が出るとゲンナリ・・・そしてまた着いたらすぐ積み込みの列に並ばなければなりません。

今は順番が来たら電話で呼んでくれるところが多いですが、当時は今ほど携帯電話も普及しておらず、そういう手間のかかる手段は倉庫サイドも考えてなかったようです。

で、配達がやりきれなくなり、港にトラックを実入り(荷が積んである)状態で放置し失踪するドライバーも居ましたね(@@:)。
TAKAOも延着は結構やらかしました。
「次の仕事決まってないからとりあえず八戸からベタで仙台目指しといて」と言われ、途中の道の駅で爆睡してしまって携帯は圏外(当時はまだ圏外の場所は日本のいたるところにありました)、朝仙台で積み込んで当日降ろしの仕事がついたのに仙台に着いたのは盛岡から高速に乗って昼過ぎとか(爆)

完全歩合制で、運賃から高速代と燃料代を引いた残りから会社と折半という給与形態でしたので、眠いからと高速使ってばかりいると生活出来ません。そもそも運賃も非常に安かったのです。
大型の場合は売り上げの19%でした。
今考えると雀の涙みたいな数字です。部屋が借りられず週末も車上生活している人も。
年上の女性ドライバーがTAKAOの後に入って来て、さすがよく走れるなと思っていたらしばらく見かけなくなり、薬物中毒で捕まったとかいう噂もありました。
なので、人の入れ替わりが激しい会社でした。

その会社があるとき何故か地場のセンター便の仕事をやり始め、パワーゲート付きの新車を大量に入荷。

格納式パワーゲート

格納式パワーゲート
Wikiより引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/パワーゲート

当時は格納式のパワーゲートってすぐぶっ壊れるものでしたね。壊れたときの対応に苦労した覚えがあります。

で、これがまた超ハード。

川崎の車庫をスタートし午前1時から並んで神奈川県県央部某所で積み込み、3時出発で千葉県内3件午前中降ろしとかやって、帰ってくるともう夕方です。そこから今度は某大手チェーン店の横持ちをやって、終わるのは9時とか10時、下手したら11時。地場なのに家に帰れない、寝る時間なんて3時間取れればいい方です。そんなスケジュールで1日8千円って、20年前とはいえ信じられます1?
やり切れないから午前便だけにしてくれと言ったら、日給5千円ですと。

ありえません。

でも、新車に乗れたのが嬉しくて、マーカーランプやら何やらチョコチョコ改造して何とか仕事は続けていました。
だってTAKAOはトラック好きなんですもの。
きつくってもかつかつでも、トラックに乗れるそのことだけで頑張れていました。

そんなある日、TAKAOの妊娠が発覚。黙って仕事を続けてましたが、切迫流産になりしばらく休んでいて、数日後に会社に電話したら「この電話番号は現在使われておりません」。他のドライバーも電話に出てくれず繋がらない。
事務所に行ってみたら鍵の締められた入り口に張り紙がしてあるのが見えました。
「ああ。そういうことか・・・」。

いわゆる「トンズラ」パターンで、給与も未払いのまま、TAKAOの乗ってたクルマも私物ごと押収されたようです。
半年後、大きなお腹を抱えて労働基準局に行ったら当時のメンツが集まっていて、ちょっとした同窓会みたいになりました(笑)

センター便の仕事ってものすごく運賃が安いんですよ。
手堅いけど、零細企業に回ってくる頃には何社も何社も水屋を通してるので。
で、運賃をいずれ上げる約束で契約したはいいがのらりくらりかわされて、そのためにクルマに投資した会社は丸損になって当たり前なのです。
実はTAKAOが経験した運送会社の倒産は2回ありますが、2回とももともと別の専門的な運送をやっていてそこの荷主から仕事を切られ、センター便に行き着くしかなくなった会社です。
荷主を絞らずリスクを分散するのって大事なことなんですよね・・・追い詰められてもうまい話には乗らない先見の明も経営者には必要でしょうし。

その時に、本当に怖かったのは・・・。

あるドライバーが休んだからと、代わりにそのクルマに乗って仕事したときのこと。
日報用紙のストックを探してコンソールをゴソゴソやってたら何やら走り書きがしてあるメモ帳が。
「今日も1時間しか眠れなかった。死にそうだ」
「自分はもう頭がおかしくなって来ている」
「家族を食わせて行かれない」
「今日は2時間寝られたが、こんなことならいっそ死にたい」
などと日記のように書いてあるのを見た時です。

ゾッとしました。

その人は、結局もう来ませんでした。
彼は運送会社の仕事は初めてで、他の運転手のの積み込み手伝いもせず「自分は大型免許を持っている」などという自慢と仕事の愚痴しか言わず他の運転手にかなり嫌われていました。
ただ、それを口にしないのが皆さん大人でしたし、自分のことで精一杯なのは誰しも同じでした。
運転手のスキルや向き不向きというのは、こういうところにも現れるんだなぁとその時TAKAOは知りました。
給与のことは抜きにしても、自分との闘いに勝てない人、トラック(ひいては物流の仕事)に愛がない人はこの氷河期に運転手を辞めていったことでしょう。

その後、妊娠と出産、育児ブランクを経て保育所にやっと我が子を預けまた運転手家業を始めるも、旦那の理解が得られず(旦那は当時リストラに逢いなかなか次の職が決まらず鬱になってもイクメンしてくれてましたが、そういう生活がうまく行かず)結婚は破綻、TAKAOはシングルマザーになりました。
保育所の受託時間との兼ね合いもあり、やはり就職出来たのは限られた会社でしたが、その中でもいろいろやって現在に至っています。

長距離のスキルを活かしてまた出来るようになったのは娘が小学校中学年くらいになってからで、それまでは地場をやって両親にもフォローしてもらってどうにか運転手稼業を続けてこられました。
そのうちでもやはり零細企業では2010年くらいまではブラック運営の会社がまだまだありましたね。それでもかつかつで大型を売り飛ばした会社もありました。

それが、ここ数年でアナログ式タコグラフ(タコグラフとは走行状態を記録するもの)の付いた大型は出荷されるのを見かけなくなり(TAKAOはいっとき陸送もやってました)、探せばデジタル式タコグラフできちんとした運行管理と労働報酬をしている会社もあることが分かりました。

デジタコ

ボルボに付いてたデジタコ。
何故「ボイン」かは謎・・・。
©TAKAO

まぁ、高速代出ないからなるべくベタでいけよって会社はまだ多いですが、間に合わせるには運転手が自腹を切らなければならないような配車やまともに走れないほどの積ませ過ぎ、毎日ロクに車内休憩も取れないなどという会社は激減したと思います。
規制が厳しくなったということで違法無線をやる人も減り、代わりにツイッターが運転手同士のコミュニケーションとして台頭しつつある気がします。
それはそれで、運転手の業界用語を築いてきたCB無線の歴史が消えゆくのは寂しいことではありますが・・・。

CBはTAKAO自身はやったことがありませんが、やってた人から面白いエピソードはたくさん聞けました。
ちょっと話が逸れますがご紹介。

「電圧上がるように改造するとインカムをバチンと一発で信号機が誤作動したから、積み過ぎで止まれない時にそういうイタズラやってた」
舘ひろしさん主演の「免許がない!」みたいですね(笑)。まぁ、でもこれでは取り締まられるのも致し方ないでしょう。

「前から無線で知り合ってて、グランド(実際に会うこと)しようという話になって待ち合わせ場所に行ったがそれっぽいトラックが見当たらない。だが無線は通じていて相手は自分が来たのをを知っている・・・???バッテリーと無線機積んだチャリンコで相手が来てた」。

TAKAO自身が経験した話。なんでも電圧上げてる無線使用中のクルマが近くに居ると、ラジオの音に被ったりキーオフにしてるはずの自分のクルマのスピーカーから会話が聞こえるとか・・・中学生の頃電リク番組を愛聴してたTAKAOはテープに録って繰り返し聴いてましたが、好きな曲の途中でいきなりオッサンの下ネタ話が入ったのがそのままテープに録音され、今でもCDやPCでその曲を再生するたびそこでその声が聞こえる気がしてしまう・・・。

今でも一般道の案内標識は「青カン」と言ったりしますが、高速の緑の看板は何故か「金看板(キンカンバン)」。使ってる人に聞いても由来は分かりませんでしたが、最近になって「もしかしてお金払うからカネ→キン、で金看板?」と気づいたのでした。
こうした無線で使っていた用語は業界用語としてかなり残っています。

話が逸れましたが、働き方がサラリーマン的になり無線も廃れてきてしまいましたが、先ほどお話しした氷河期に比べればそうそう辛い思いをしないで済む業種になったのは確かです。
時代の流れに乗れず、最近までブラック運営をしていた会社はTAKAOの周辺では廃業か倒産していますね。

こういう今だからこそ、労働環境のいい運送会社は必ず見つかります。
きついというイメージにとらわれず、興味を持ったら畑違いでも転職を目指す価値は大いにアリです!
若手くんも中年さんも、今からでも遅くない!
今だからこそトラックに乗ってみてください。
きっと、その仕事の精神的な充足感に驚くことと思います。

コメント

  1. とらとらとら♡ より:

    TAKAOさんのこの記事読んで背筋が凍りました・・・。
    こんな時代もあったんですね。
    信じられないです。

    殿さま商売ってまだ今でもありますが、昔は本当にひどいところはひどかったんですね。
    TAKAOさんがつぶされなくて本当によかったです(´;ω;`)ウゥゥ
    こういう時代を生き抜いてきたドライバーさんの声って本当に大切です。
    色々勉強させてください!

  2. takao より:

    とらちゃんまた来てくれてありがとう!
    こないだノロにかかって寝ながらツイートしてたりして(苦笑)ブログ更新してないからそろそろ新しい記事アップするよ。
    ほんと、いっときは酷かったよ〜(泣)
    良かったらブルルさんで拡散してもらえれば、配車マンの意識をもっと変えられるかも?
    これからはいい時代になって欲しいと切に願います!